空海とは、著作に残した人生の言葉、名言

読み方 くうかい

空海は「774年から835年」までの平安時代に実在した僧侶で、真言宗の開祖です。

日本全国の各地に空海が行った奇跡、例えば杖をつくと泉がわき起こったなど、温泉を
掘り起こしたなどといった伝説が残っています。

空海の神秘的な偉大さ、御利益が誇張されたものと考えられています。

空海がいろいろな奇跡を行ったという各地に残る伝説の多くは、実際に空海が
行ったことよりも、後の修験者たちが行ったことで、それらがすべて
空海の伝説になったのではないかと思われています。

修験道というのは、土着的(どちゃくてき)な日本の山岳宗教、仏教、道教、
陰陽道などと結びついてできたものです。

開祖は役小角(えんのおづの)で、奈良時代に成立したといわれています。
平安初期からは、空海が唐からもたらした密教との結びつきが強くなったので、
仏教の一派ともされています。

空海が行ったと伝えられる奇跡の多くは、現代の科学からすれば、超能力のような特別な
能力というよりも、身体的な能力が高く、経験的に身につけてきた知識などがあれば、
説明できることなのだと思われます。

そうした伝説は誇張としても、空海はルネッサンス期イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチ
のように、日本における「万能の天才」といえるでしょう。

空海は宗教家、思想化として優れていたことはもちろんのことですが、その「書」は、
嵯峨(さが)天皇とともに「二聖」と呼ばれ、また、橘逸勢(たちばなのはやなり)を加えて
「三筆」とも呼ばれています。

漢詩も一流で、書とともに、本場の中国人を感嘆させるほどのものでした。
さらに、中国語だけでなく仏教を勉強するのに必要なサンスクリット語にも
長じるなど語学についても天才ぶりを発揮していますし、土木技術や薬学についての造詣も
深かったといわれています。

なぜ空海は多岐にわたって、これほどの天才ぶりを発揮できたのでしょうか。
もちろん、空海は生まれつき頭がよく、才能に恵まれていたことは確かでしょう。

空海は、奈良時代の終わりに近い774念に讃岐国に生まれています。
生誕の細かい月日は不明なのっですが、後に不空三蔵の生まれ変わりとする信仰から、
その忌日(きにち)である6月15日生誕の説があります。

父は地方豪族の佐伯氏、母は阿刀氏。
幼名は真魚(まお)、弟に真雅、甥に智泉、真然、智証大師円珍など、空海の血縁には、平安時代初期の
宗教界を代表する人物が輩出しています。
母方の叔父阿刀大足は、桓武天皇の皇子・伊予親王の家庭教師を務めています。

家柄もよく、792年、18歳で当時の高級官僚を養成するエリートコースである都の
「大学」に入学しています。
しかし、空海は大学を途中で辞めてしまっています。
そういうところに空海がその天才と言われる才能を開花させた秘密がありそうです。

もし、空海がそのまま大学で学び続けていたら、当時の国家の高官にはなることができた
と思われますが「弘法大師」として、今のように後の世に残るほどの業績を挙げたかどうかはわかりません。

空海は大学在学中に一人の修行僧に会って、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじ)を教えられ、大学に
訣別して、修行の旅に出ます。

虚空蔵菩薩の「虚空」とは無量という意味で、広大無辺の福徳・知恵の功徳を蔵する菩薩のことです。

空海の最初の著作である「三教指帰(さんごうしき)」によると、大学と訣別して修行に出たことが
次のように説明されています。

「私は、十五歳の年に、母方の叔父、阿刀大足について儒学を学んだ。
この師を尊敬し、その教えによく従った。
そして、十八歳になると、都の大学に入り、太いに勉学にはげんだ。

ところが、そのころ、ふとした機会に一人の沙門と知り合いになり、虚空蔵求聞持法を教わった。
この所法の拠り所にされている「虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」という経典には、
『もし、この経に示されている作法に従って、虚空蔵菩薩の真言を百万遍となえれば、一切の
経典を暗記することができる』といった意味のことが書いてある。

そこで、私は、仏典は釈尊のお言葉であるから、その言うところにいつわりはあるまいと信じて、
それからというものは、寸時も怠らずに此の求聞持の行法にはげみ、静寂の行場をもとめて、あるいは
阿波の大瀧岳にのぼり、あるいは土佐の室戸崎で修行をつづけたところ、その効験むなしからず、
虚空蔵菩薩の応化とされる明星があわわれた。

こうして修行をつむうちに、大学を出て官吏として出世しようとしたり、商売で金もうけをしようとする
世俗の栄達を、次第にうとましく思うようになり、俗塵を遠く離れた山野林間の生活をあこがれるようになった」

空海は、ある修行僧と出会い、虚空蔵求聞持法を百万遍となえれば一切の経典を暗記することが
できると教えられ、それをとなえながら、修行したというわけです。

そして、その功徳によって、ある瞬間、世界のすべてが輝いて見え、虚空蔵菩薩の化身といわれる
明星が現れたというのです。

一説には、口に明星が飛び込んできて、悟りを開いたともいわれてもいます。

そのときに、洞窟から見える外の風景が「空と海」だけで、それがこれまでとまったく違い、
光り輝いて見えたことから、それ以後「空海」と名乗るようになったといわれています。
それが空海が悟った瞬間で、年齢は19歳のときとなります。

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