天武天皇の皇后、持統天皇とは

参考画像 持統天皇の参考画像
読み方 じとうてんのう
生没年 645〜702年
持統天皇の解説 日本の第41代天皇で、天智天皇の第二皇女です。

名は高天原広野姫尊 (たかまのはらひろぬひめのみこと) 、
幼名はう野讃良 (うののさらら) と言います。

母は遠智娘(おちのいらつめ)、その父は倉山田石川麻呂という名前で右大臣です。

少し過去に遡って解説すると、672年に古代最大の戦いと言われる「壬申の乱」がありました。
これは天智天皇の弟である大海人皇子と、天智天皇の息子である大友皇子との戦いなのですが、
この壬申の乱に勝利したのが、大海人皇子で、後に天武天皇となります。
そして天武天皇の皇后が鵜野讃良皇女、のちの持統天皇というわけです。

持統天皇は自分の息子草壁皇子を皇位につけるためにライバルの
大津皇子を抹殺したという、怖い女帝のイメージもあります。

ですが、夫である天武天皇とともに中央集権国家の確立に尽力した後、
持統天皇は、天武天皇の亡くなった後も、その遺志を継ぎ、
行政機能も十分に整っていない時代に、自ら律令による国政を図り、日本で初めての計画された
都市・藤原京を造りあげたすごい人物でもあります。
また、藤原京だけでなく、飛鳥浄御原令を完成させた人でもあります。

ちなみに持統天皇を題材にしたアニメドラマ
「古代日本 愛のチカラ〜よみがえる 持統天皇の都〜」
が過去にNHKで放送されていたこともあります。

また、「国営飛鳥歴史公園」大海人皇子と持統天皇の合葬墓が展示されています。
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